エゲルからミシュコルツへの国道は片側1車線しかない。雪のせいか流れが遅く、そのうえバスは国道からそれた集落に寄り道するので、ずいぶんイライラする。距離は50~60kmくらいしかないはずなのに、2時間近くかかってしまった。
ミシュコルツはこの国で3番目に大きい都市だけに、バスが市街地に入ってからの道のりも長い。すっかり暗くなり様子が分からなかったので、Lonely Planetに掲載された地図で目標になりそうなものを探してみる。どうやら市街地の中心らしい通りを回ってから、バスターミナルに向かったようだ。
平日の夕方ということもあるけれど、通りを歩いている人が結構多くて、なんとなく安心する。ブダペストは土日にかかってしまったせいで閑散としていたし、エゲルは魅力的な観光地だったが、いかんせん街は小さい。人口はたった20万だが、久しぶりに都会の臭いのするミシュコルツは、新宿か渋谷のように見えた。
この国の主要な工業地帯であっただけに市街地は広い。工場の煙突はイスタンブルのモスクのミナレットくらいに多い。そして「ちゃんとした」繁華街には人が歩いていて、ショーウインドは商品を見せる役割をしっかり果たしている。しかし、賑々しさが全くない。なにもかもがじっと黙りこくったようだ。
これは演歌だ。この街には演歌が似合う。北島三郎では明るすぎる。石川さゆりがいい。思いっきり市場経済化の流れに取り残されてしまった90年代以降、すっかり演歌調の街になってしまったのかもしれない。
温泉のあるミシュコルツタポルツァは、ミシュコルツのはずれ。バスターミナルから乗り換えた市内バスは、だいぶん年季の入った連結バスだった。騒音も、振動も、すきま風も盛大で、なんとなく今のこの街が置かれた状況を予感させる雰囲気を出していた。
真っ暗になってしまってから宿の予約もなく新しい街に到着するというのは、どんなに旅慣れても緊張感がなくならない。ミシュコルツタポルツァに着いたのは17:00を少し回っただけだったが、冬のハンガリーはもう真っ暗だ。長い旅でもないし、ここに泊まるのは1晩だけだ。一番いいホテルにしよう。
Lonely Planetのミシュコルツタポルツァのページで宿の確認をする。「The top hotel here is the 96-room Juno Viking...Doubles are DM56 toDM59, depending on the season.」おぉ、いいんじゃないか。ついでにプリントアウトしてきたハンガリー政府観光局のWebページに目を通す。ミシュコルツタポルツァの紹介ではJuno Vikingが一番上に載っている。
灯りがついている部屋は少ないようだが、Juno Viking hotelの巨大な建物は遠くからでもすぐにわかる。建物にいちばん近づいた停留所でバスを降りた。バスの乗客は多くがここで降り、しかも、Juno Vikingの方向に向かって歩き出した。これは心強い。公園の中を突っ切る通りを抜けると、Juno Vikingは目の前である。
ところがどうしたことだろう、バスの相客はみんなJuno Vikingには向かわずに、その少し先にある集合住宅の方に消えていってしまった。あたりは街灯も少なく、薄暗い。ホテルの入口はどうやら2階のようだ。駐車場の入り口は立派だが、歩きでやってくる客にはまったく配慮がない造りである。照明のない小さな階段を上がると、ホテルのレセプションのある2階に抜けることができた。
ロビーには団体客が大勢いる。疲れているのか一様に無表情で黙っている。帰りの貸し切りバスの到着を待っているのだろうか。一目で外人とわかる客が入ってきたのを見ると、シャツはヨレヨレだけれど一応ネクタイをしたレセプション係が応対に出てきた。料金もそこそこだし、部屋も空いていた。
鍵を渡された部屋は9階だった。エレベータの動作は滑らかではなく、閉じこめられてしまう恐怖と劣化したワイヤが切断され落下する恐怖を感じる。客室のあるフロアはカーテンウォールの窓際に廊下が通っている。眺めはいいが、ずいぶん無駄な造りである。9階の客室に他の泊まり客がいる気配はない。
部屋は広かった。大きな窓からの眺めもいい。しかし照明が暗い。床にはくすんでしまった赤いカーペット。テーブルには選挙事務所を思わせるアルミ製の灰皿。ツインの部屋に2枚しか用意されていないタオルも、トイレットペーパーもゴワゴワだった。やけに大きなテレビはスイッチを入れても砂嵐が吹き荒れるばかりである。
これは...1970年代に迷い込んだような部屋だ。時間が止まっている。クッションのへたったソファでたばこをふかしていると、共産党員にでもなったかのような気分になる。とにかくさっさと外に出て夕食にしよう。さっきバスを降りたバス停の近くにはLonely Planetにも紹介されている悪くないレストランがあるようだ。そこに行こう。
あいにく目当てにしていたレストランは夏場だけの季節営業らしく、入り口は閉ざされていた。しかし、バス停のすぐ目の前にある雑貨屋の入った建物には「Hotel Anna」の看板が出ている。どうやら店の2階から上は、レストランを併設した小さなホテルになっているようだ。とんがり屋根の恥ずかしくなるくらいかわいらしい建物が、暗い通りからは灯台のように明るく見えた。窓にかけられたカーテンは、明らかに内部の暖かさを強調する役目を果たしている。とにかく入ってみよう。
レストランの店内は潔癖なまでにきちんと整えられている。応対してくれたギャルソンはこの小さなホテルに不釣り合いな折り目正しさで、給仕をしてもらうこちらが緊張してしまうほどであった。彼にお勧めを聞いて注文したバラトンの白ワインは、日本のレストランになかなかまねできない絶妙な加減に冷やされていた。
帰り際、Hotel Annaの部屋の空きと宿泊料金を聞いてから店を出る。時間はまだ20:00。だれもいない雪の降る道を、Juno Vikingに引き返す。
方針は決まった。ひとたび決断すれば動きも素早い。Juno Vikingのレセプションと部屋の時間貸し料-ホテルの会計に納められるのかどうかは疑問だが-2000HUFで交渉をまとめ、荷物を引き上げてHotel Annaの部屋でテレビのスイッチを入れるまでに、15分とかからなかった。
Hotel Annaの部屋でビールを開け、テレビのチャンネルを回してみる。砂嵐以外の番組もちゃんとやっている。ならべられた家具、調度品に東側の風合いはまったくない。窓のサッシはドイツ風のつくりで、過剰なくらいに頑丈そうだ。さっきのホテル-Juno Viking-とは別の世界である。
ユーレイではないだろうけれど、今日は見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。通り過ぎるだけのツーリストが見てはいけない、ハンガリーだったのかもしれない。
翌朝、雪もやんで、すっかり晴れている。今日は温泉である。
ミシュコルツタポルツァの温泉はふたつ。ひとつは昨晩泊まったHotel Annaの目の前にある巨大温泉プール「Strandfurdo」(写真下)。一昔前の「東京マリン」のCMを想像していただくと、おおよそはずれがないイメージをつかめるだろう。そしてもうひとつが、本日のお目当てである洞窟温泉「Barlangfurdo」だ。
昨夜の雪で真っ白になった公園を抜けて、洞窟温泉に向かう。入り口にある三角屋根の事務所で料金を支払う。そこから敷地の中をしばらく歩いた先に、洞窟温泉の建物(写真下)がある。なんだか温泉というより遊園地の雰囲気である。
なによりもまず、前後にドアのついた更衣室に笑い転げる。写真(右)の奥、私のあけているドアが入り口。開いていてわかりにくいが、私の手前側にももう1枚ドアがある。香港あたりで存在を噂されている「誘拐用回転鏡付き試着室」を思わせる造り。さらに手前にはずらりとロッカーがならぶ。
さて、入り口に近い方から温泉内部の設備をみてみる。まずは5~6人入ることのできるジャグジーとマッサージなどを受けられる部屋がならんでいる。そして同じ区画の奥の方には普通の浴槽がふたつ。水温はいずれも摂氏30度台である。このあたりは真っ白なトレーナーを着用した係の人がうろちょろしていたりするスポーツジムの雰囲気で「温泉らしさ」はない。この区画のいちばん奥には自由に使える小さなサウナがある。
前述したサウナのわきを抜けると、左側が露天、右側がハイライトである洞窟温泉。まずは露天。
打たせ湯なども用意されており、日本風の基準でみるとこの露天がいちばん「温泉らしい温泉」である。ただしその「温泉らしさ」は「写真に撮った場合」および「暖かい季節の入浴」に限定される。Barlangfurdo温泉の水温は摂氏36度程度とぬるい。この露天に関しても例外ではないどころか、外気に触れて水温はさらに下がっている。
写真(上)において私は悠然と温泉に浸かっているような素振りをしているが、この1枚の写真はあかぎれのできるような忍耐の産物なのである。季節は11月末、気温は氷点下。濡れたタオルはすぐに凍り始める。言うまでもないことだが、こんな時期に露天に入ろうとするおバカさんはいない。温泉サイトの運営にはなかなか厳しい精進が必要であるということをご理解願いたい。
思い出すだけでも寒いので次の話題、洞窟温泉に移る。湯気が立ちこめる洞窟には、風呂らしい空気がある。水温はさほど変わらないはずだが、タオルも凍る露天の後には温かさが身にしみた。
写真(右)は洞窟の一番奥付近で撮影。このような大きさの洞窟をぐるりと一回りできるようになっている。洞窟のこれより手前側には、ジャグジー・マッサージのある風呂、打たせ湯が用意されていて、洞窟温泉部分だけでもかなりの時間楽しむことができる。
洞窟温泉をはじめとするBarlangfurdoの温泉は、ブダペストの温泉と同様、「風呂らしい風呂」を想像していると期待はずれになるかもしれない。しかし「冬でも入れる温泉プール」としてはかなりできがよいのではないかと思う。ぬるいとはいえ成分はしっかり効いているようで、疲れがとれた気分になれることは確かだ。
途方もない費用と労力が投下されたであろう凝りまくった造作の洞窟。平泳ぎでお湯をかき分けつつ進んでいると、かつての東側の人々にとっての旅がどんなものであったのかを少しは想像できる気がした。その当時の旅人たちは、昨夜われわれが少しだけのぞいてしまった「時間の止まった」ホテル-Juno Viking Hotel-の部屋でどんな夢を見ていたのだろう。
今日は国境を越えたスロヴァキアのコシツェに立ち寄って、夜行列車でプラハに向かう予定だ。Webで調べておいた午後の列車は15:05の各駅停車と16:57の特急。各駅停車はコシツェまで2時間かかるのに対し、特急なら1時間少し。
誰の目にも特急の方が楽ちんそうだが、コシツェから先の寝台車は予約を入れていないので、できるだけ早めにコシツェに着いておきたい。時間がかかるのを承知で、各駅停車に乗る。
列車の出る15分前にホームに着いた頃には、すでに空席はなかった。コンパートメント式の列車は通路にも大勢人が立っていて、こっちを見ている。ちょうど学校が終わる時間なのだろう、不良高校生がたばこをふかしたりしているあたり、どこもやることは同じなのだなと思う。比較的空いていた端の方の客車の通路に立っていることにした。
ほんとうに全部の駅に止まる律儀な各駅停車である。ガラの悪い高校生を少しずつ降ろしてゆくが、乗ってくる人はいない。国境近くの駅ではとうとう、列車の中にわれわれだけが残された。今はスロヴァキア領のコシツェにはハンガリー系の住民も少なくないらしいが、国境を越える人の流れは多くないようだ。
列車もガラガラなので、エゲルで仕込んできたワインをちびちびはじめる。ほとんど無人の国境付近を相客のいない列車で旅するのは寂しい。ハンガリーの旅もこれでおしまい。ちょっと気が利かないところがあるけれど、この国には去りがたい気分にさせる不思議な魅力がある。
列車は必ず乗り換えになるのでバスを利用したが、列車の方がよさそう。バスは長距離バスタイプではなく、都営バスの座席を増やしたようなタイプで、暖房の利きが悪かった。そのうえわれわれの乗った時間帯が悪かったのか、途中で車の取り替えがあり、乗り換えさせられた。バスの利点は中心街に到着すること、簡単に市内バスへの乗り換えができることくらいである。
列車で到着した場合、駅からミシュコルツタポルツァまでタクシーで1300HUF。距離の近い中心街までならこの半分くらいだと思う。
ミシュコルツのバスターミナル(Buza ter)から2番のバスで約15分。バス料金は運転手に支払う。105HUF。
ミシュコルツタポルツァでは最高のホテルであったはずだが、現状は本文のとおり。
宿泊料は朝食付きツイン10000HUF(冬料金)。眺めがよいこと、「古き悪しき」東側のホテルの雰囲気を味わえるという特徴はあるが、わざわざお金を払って試す必要はないだろう。
2番のバスでミシュコルツタポルツァにやってくる場合、左手に大きな公園の見えてきたすぐ先のバス停で降りると目の前。温泉施設「Strandfurdo」が目印。ツイン1部屋7000HUF。夏はいくらか高くなると思われる。朝食は別。
洞窟温泉。地図看板が充実しているので場所はすぐわかる。入浴料600HUF。ロッカーの利用はデポジット式で、鍵を戻すと料金が返ってくる。営業時間は季節によるようだが、訪問時は夕方18:00まで。早仕舞である。
巨大温泉プール。しゃれにならんくらい巨大である。設備は完全にプール。夏場しか営業しておらず、今回は試すことができなかったので、料金等は不明。
各駅停車とはいえ国際列車の切符は高く、2150HUFもしたが、特急に乗っても座席指定料がかかる程度しか違わないそうである。列車の時刻表はELVIRAで参照できる。
途中で切り離される客車もあるので注意が必要。国境のハンガリー側の駅、Hidasnemetiで出入国手続きをするための係官が来る。