エゲル行きの列車は11:05発にも関わらず、ケレティ駅に着いたのは10:45。大慌てで切符を買い、発車直前に列車に飛び乗り、さらに、見栄を張って1等の切符を買ったものの肝心の1等車は一番前。乗り込んだのは一番後ろの車両。うまくいかないときはなにをやってもダメ。荷物を抱えて延々と列車の中を移動する。コンパートメント式車両の通路は狭いうえ、連結のドアは堅くて重い。
氷点下10度のハンガリーで大汗をかき、ようやく1等の座席にたどり着いたら、なによりもまずビールがほしい!ビールがなくてもとりあえずなんか飲み物持ってきてくれ!というのが人情。そわそわ通路の様子を伺いながら車内販売がやってくるのを待っていたんですね。
来ない。待っても待っても来ない!ブダペストからエゲルまでは2時間ちょっと。新幹線なら東京から京都くらいの時間。1回くらいは回ってくるだろうと踏んでいたわけなんですが、待てど暮らせどやってこない。「今ならビール1本1000フォリントくらいは出してもいいぞ!」という客がいるのに、なんということだこれは!
とうとうエゲルまで車内販売は来なかった。距離が短かったのかもしれないけれど、こういうところに客商売のチャンスっていうのはあるわけで、これがもしトルコならばですよ、チャイを3回、アイラン2回、オレンジジュース1回、ヨーグルト1回というように、しつこいくらいにやってくるものです。こういうところになんとなく共産主義の影が見え隠れしていると思った次第。人間そう簡単には変われないんだろうな。
ブダペストからの列車でエゲルに着いたのが13:00過ぎだったので、とりあえず宿で昼飯。今朝は2時間も朝風呂を浴びた。列車でも車内販売がなくビールのお預けを食らった。血中アルコール濃度は小学生以来経験したことのない値にまで低下しているのがわかる。
しかし、本日の午後はエゲルにやってきた目的その1「美女の谷のワインセラーに行く」という決意を堅くしており、昼飯とともにワインを飲んでしまうのは美女の谷の美女に失礼であり、けしからん!というわけで、ビールとオードブルをいくつか頼むことにした。
ビールを1杯やって、つまみもおいしく、決して文句はありません。暖房もよく利いている。しかしですよ、窓の外に降る雪を眺めるにつけ「これはビールではないな」という、どうにも抑制のきかない欲情が沸々とわき上がり...。
まあよいではないかよいではないか、美女の谷では赤ワインがおいしいという話である。美女の谷ではエグリ・ビカヴェールをはじめ赤ワインをいただくことにしよう。その代わりここでは白ワインをいただこう。こうすれば美女の谷の美女にも申し訳が立つというものである。即、白ワイン注文。
あきれかえるほどシラブルの長いマジャール語が滑らかに発音できる程度に酔いが回ったところで、今朝の風呂上がりにビールを飲んだことを思い出した。私は血中アルコール濃度が低下すると、著しく記憶力が低下するという持病を抱えている。こうして今も、アルコールを摂取したことにより、記憶力が回復したのである。体調が回復したので、美女の谷に向かうことにする。
美女の谷までは歩いていけない距離ではないけれど、雪がどんどん激しくなってくる。タクシーに乗る口実ができてしめしめ。ワインセラーがたくさんあって、しかも激安価格で飲めるらしい。
タクシーは10分かかるかかからないかで到着。ずらーっと洞窟がならんでいる。しか~し!季節は冬。雪まで降っている。開いているワインセラーがほとんどないのである。そんな数少ない商売熱心なワインセラーの中から、まずは29番に入ってみる。
エグリビカヴェール(赤)とムシュコターイ(白)を試飲。ちょっとクセがあるけどおいしい。雪の降りしきる外から暖かい洞窟に入り込んでワイン。幸せ。このセラーのオヤジは完全に趣味の世界に入り込んでおり、店内は小学校の「お楽しみ会」のようである。こちらがワインを飲んでいる間もなにやら祭壇のようなものをせっせとこしらえている様子。とりあえずエグリビカヴェールを1リットル購入。
2軒目の41番セラーは趣味の世界ではなかったが、店番のオヤジは「冬眠中」のようであり、ドアを開けるとレジスターを置いた机に置物のように座っていた。決して悪いオヤジでもなさそうだし、いやなオヤジでもないが、「商売っ気」がまるでなく「客が来た」という態度を全然しないのである。
だんだんルールがわかってきた。かまってくれない代わりにこっちも好きなようにしていいわけだな。欲情のおもむくままにワインを飲む。どれもうまい。勘定を確認したくなるくらい飲みまくったところで、冬眠中のオヤジは「この店はそろそろ閉めます」と宣言。ムゼウム1リットルを購入。
われわれの肝臓は強靱であり、本当は全部のセラーを試したいところだ。しかし、開いているセラーが少なすぎる。季節を変えてまた来ることにしよう。
私は生ものが好きだ。海のないハンガリーでお刺身を食べるというのは長野県の温泉旅館に舟盛りを注文するに等しい。しかし長野には馬刺がある。ハンガリーには馬刺はないが、タタールステーキがある。
タタールステーキというのはミンチにした牛肉。中華料理店のチャーハンのように、専用の型があるのだろう、必ずきれいなドーナツ型に盛り付けられている。上には生卵の黄身が載り、おろしニンニク、香辛料が添えられている。ゲテノモ食いならこの説明だけでヨダレが出そうな一品。
美女の谷のワインセラーはオフシーズンのせいで2軒しか試せなかったが、量はしっかり飲んできた。お酒が回ると生ものが恋しい。「今日はタタールステーキ」を食べるという決意は、ワインを飲んでいたときすでに決まっていた。
ホテルのある町中に戻り、デパートの様子を見てからBHBというレストランで夕食。タタールステーキを注文したときにギャルソンのオヤジはちらっと表情を変えたような気がした。「お前、いいのか?」と問い質していたようにも見えた。
しかし、マジャール語を解さない相手にくどくど説明するのも面倒になったのだろう。ちょっと時間はかかったが、タタールステーキはちゃんと出てきた。
エゲルのから近いエゲルサロークの温泉は今回の旅行の中できわめて高い優先順位を与えられていた訪問地である。トルコのパムッカレに似た白い石灰棚に温泉が湧き、露天風呂を楽しめるらしい。温泉Webサイトを開いている以上、逃すわけにはゆかない。
「ワシらはエゲルサロークに行くから、よろしく頼む」とバスの運転手に念を押し、運転席のすぐ後ろに座った。並ぶのが嫌いなハンガリー人を押しのけてこの席を確保したというあたりからすでに勝負に入っている。
バスの運転手が教えてくれたバス停の周りには、まったく人家が見あたらない。ちょっと不安な気分になるが、案内に従って2、3分歩くと、すり鉢状の谷間から湯気が立ち上っているのが見えてきた。まさに秘湯の雰囲気。
石灰棚は雪と湯気に隠れてしまっているし、その石灰棚もパムッカレに比べるとずっと小振りだけれど、一目見てこれはすごい温泉だと感じさせる。工事現場用のトイレのような更衣室で水着に着替える。気温は氷点下10度くらいだろう。それでもお湯には先客がいて、しかもビールを空けつつ雪見酒を決め込んでいる。
ブダペストの温泉にはどこか病院のような空気がある。まじめに入らないと怒り出しそうな客が大勢いて、売店のビールも奥ゆかしく並べられていた。しかしここは気楽だ。さっそくミネラルウォーターの小瓶に分けて持参したワインをあける。
お酒をやれるだけでなく、エゲルサロークはお湯が熱め。40度以上はある(感覚値)。先客のオヤジたちはずいぶん長いことここに居座っているらしく、だいぶん「できあがって」いる。ワインを持参しているにもかかわらず、お裾分けをいただく。「温泉オタク」であることの幸福を感じる瞬間である。
ブダペスト(ケレティ駅)から直通の列車は本数が少ないので、時刻表を調べておいた方がいい。途中乗り換えでもかまわなければほぼ1時間おきに走っていて、だいたい2時間強でエゲルに到着。
ケレティ駅の切符売り場国内線はホームの行き止まり側から階段を下りた地下1階左手にあり、ややわかりにくい場所。開いている窓口も少ないようなので、私のように発車時刻ぎりぎりに切符を買おうとすると大汗をかくことになる。エゲルまでのお値段は2等で1182Ft、1等は591Ft加算。
数少ない直通の列車にうまく時間を合わせて乗ったとしても、安心してはいけない。私の乗った便(ブダペストを11:05に発車)もそうだったが、途中で切り離しがあり、全部の車両が必ずしもエゲル行きではない可能性がある。車掌さんが検札に来るので、そのときに「この車両はホントにエゲルに行くのか?」をくどいくらいに確認。
エゲルの駅街の中心までは歩くとちょっと遠い。雪の降りしきるむちゃくちゃ寒い日に着いたので、歩くことはあっさりあきらめタクシーにした。エゲル駅からSenator Hausに乗り付けて約1000フォリント。
18世紀の邸宅を改装したホテル。調度もすばらしいうえ、Dobo terに面した場所も最高。1階はカフェになっている。たった11部屋しかないので、夏は予約して欲しいとのこと。
長い!「セパッソニー・ヴォルジ」のカタカナ読みで通じる。Dobo terからタクシーで1300HUF。
楕円形の道路の周りに洞窟状のワインセラーが50、60、いや、たくさんある。
2軒のセラーとも、どういう計算で会計をしているのかがよくわからなかった。ワインを1リットル以上購入すると、どうやら試飲の分はタダになるらしい。支払いはどちらの店も280HUFという思わず経営を心配したくなるお値段。大酒飲みでない場合(=1リットル以上のお土産を買わなかった場合)、ワインはグラス単位で支払いをするようだ。圧倒的に大酒飲みに有利。
住所はBajcsy Zs. ut.19。ハンガリー食はひととおり揃っている。食事よりもお酒を飲みに来る人が多いようだった。
入浴料は250HUF。エゲルからバスで15分くらい。バス代は片道102HUF。
訪問する際には曜日に注意した方がいい。平日は1~2時間おきにバスがあるものの、土曜日にはぐっと本数が減り、2時間以上間があく。さらに日曜日は2本しかない(エゲルサロークからエゲルに戻るバスのうち、1本は早朝。13:23のバスしか使えない)。